他の誰でもないお前だけ
バレーを始めたきっかけは些細な事だった。
両親は忙しく兄や姉は年が離れていた俺は、幼い頃は学校が終わると近所の祖父母の家で過ごすことが多かった。
その祖父母の家で過ごしているときに同じ歳の従兄弟が「一緒にバレーをやらないか」と声をかけてきた。それがきっかけ。
そしてその従兄弟はいつも俺の隣にいた。
家が近所で、小学校も中学校も同じ。部活も同じ。
高校もバレーを自然と続けることを選んだ俺たちが進学先まで同じになるのは当然の流れだったのかもしれない。
当然は言い過ぎにしてもおかしくはない事だとは思う。
けれど。
「此処まで同じなのはさすがにおかしいだろ」
ポツリ、とそんな言葉が自然と口から零れる。
小さな俺の呟きは同じ部屋にいる従兄弟の耳に届かない訳はなく。
荷解きをしていた従兄弟の手が止まり、
「何が?」
そんな言葉と視線を向けられてしまう。
従兄弟がそう思うのは当然で、そんな言葉が俺に対して発せられるのもまた当然だ。
なんでもない、と誤魔化せば「ふーん」とすぐにこの話は終了を迎えることが出来るのだろう。
だが誤魔化したところでいつかは従兄弟からも今俺が思った疑問が話題に上がるだろう。それならば早いほうが後々気にせずに過ごせる。
「部屋割りまで同じなんだな、て思っただけ」
従兄弟という関係性でなくても近所に住めば中学まで同じ学校になる事はほぼ決まっており、部活も同じならより高い所を目指すという意味で進学先が同じになるのもおかしくはない。
俺と従兄弟が進学したのは都内でも有数のバレーの強豪校。
スポーツ推薦を取った俺たちは一足早く部別の寮へと割り振りをされた。推薦で入った一年は俺たちだけではないから別々の部屋割りになる可能性もあったが俺と従兄弟は同室となった。
同じ学校出身者を同室にするのかと思えば他の一年達はそうではない。
「あぁ、だって「古森」と「佐久早」だしね。50音順ならそうなるんじゃない?」
「そうだね」
寮の部屋割りは学校別ではなく50音順。スポーツ推薦枠と一般枠では少し扱いが違うから三年に上がって一人部屋になるまで変わる事は恐らくない。
部屋割りについての事を口にすれば従兄弟は別段不思議に思った様子はなくさらりと同室の理由を述べた。
50音順で割り振られるなら確かに同じ部屋になる可能性は高いけれど、それでも従兄弟の前にもう一人入ったりいなかったり、従兄弟と俺の間にもう一人いたら部屋割りは変わっていただろう。
「聖臣は俺と別が良かった?」
「…別にそんな事言ってないし。全然知らない奴よりはお前で良かったとは思うよ」
これから二年一緒に同じ部屋で過ごす相手がどんな奴かによって高校生活、ひいては俺のバレー生活にも大きな影響が出る。気を遣わない奴だとイライラするし、気を遣われすぎても面倒臭い。
だから俺をよく知り、俺がよく知る従兄弟。古森元也が同室の相手なのは「運がいい」と言えるだろう。
「だよなー。俺もお前と一緒で良かったよ」
「なんで?」
従兄弟、元也は俺と違って人付き合いは良い方だし初対面の人間とでもすぐに打ち解ける。
人と話すことが好きで人を観察する事が好きで、余程の相手でなければ人と接する事を苦としない。
そんな元也なら「俺とは嫌だった」と考える事はなくとも「俺で良かった」なんて考えるとは思わずに反射的に問いの言葉が口から出た。
俺の言葉が意外だったのか、元也は少しだけ不思議そうな顔をしていた。
「だってお前、いきなり他人と共同生活なんて出来る?」
「…………」
そこに「なんの問題もなく」という言葉が追加されるなら答えは変わってくるけれど、しろ、と言われればするしかない。出来るか出来ないかで言えば出来なくはない。
俺が言葉に詰まっている事に気付いているのか、元也はニヤニヤとしている。
「だからだよ。お前絶対揉め事起こすもん」
「は?起こさないし」
「いやいやお前がウシワカの所行く度に白鳥沢からの視線が凄いんだって」
「揉めてないじゃん」
「直接じゃないけど視線の苦情が凄いの」
俺が若利くんに話を聞きに行くことの何が悪いのかがさっぱり分からないけど、元也にしたらそれが俺が起こす「揉め事」の一つだと言う。普段どんな練習をしているのか聞いてるだけじゃん。
俺の考えが顔に出ていたのか、元也はわざとらしく溜息を吐いた。
「何でか知らないけどお前が何かやらかすとすーぐ俺が呼ばれるの」
「へえ。俺も知らなかった」
その言葉は半分嘘だ。
何故かなんて理由は俺もよく知らないけれど、俺が他校の奴と話していると気付けば元也が声をかけて話が中断される事には自覚があった。そうか、誰かが元也を呼んでいたんだ、と俺は中学時代の疑問の一つが解消した事に心の中で小さく頷いた。
「だったらさ、最初から一緒に居た方が後々面倒が少なくて済むじゃん?」
「お前の中では俺が何かやらかすの前提な訳?」
他校の奴と話すのだって、気になる事があるから話しかけているのだ。決して面倒事を起こすつもりがあるわけではない。
とは言っても俺の行動を他人がどう捉えるかは本人しか分からないのだから、絶対に起こしていないとは言い切れない。そしてその行為をやめるつもりも毛頭ない。
「で、それが俺と一緒で良かったって理由な訳?」
「うん?あー……」
改めてそう確認すると元也は少しだけ考えるような素振りを見せた。
ないならないで話を終えて荷解きを再開すればいいのだが、元也にはまだ何か理由があるようだった。
小さな言葉で考えをまとめているようで何を言っているかは聞き取れない。
「言葉にするのは難しいっていうか、なんだろうな。お前が面倒を起こすから~なんて言うのも改めて考えたら言い訳みたいなもんなんだよね」
「は?言い訳?何それ」
「だよなー、そう思うよなー」
そう言い元也はその少し独特な眉毛を僅かに下げて見せる。
こんな風に困っているように見えるコイツを見るのは珍しい。
「なんだかんだ言ってもさ、お前と一緒にいるのが楽しいんだよね。だからなんでか、なんて理由を考えるよりも普通に「お前と一緒で良かったー」て思った訳」
「……あ、そう」
井闥山への進学が決まった時も「良かった」と思った。
寮の相部屋の相手が元也だと知った時も「良かった」と思った。
高校生活とバレー生活に支障が出るか出ないかなんて後付けのただの言い訳だったのかもしれない。
俺の一番近くにいるのが元也で良かったと。俺はそう思っていたんだ。
けど、
「何でだ?」
「え、何が?」
「なんでもない」
「いや、なんでもないって事はないだろー?何?まだ何か気になんの?」
新たに浮かんだ疑問をうっかりと口に出せば、元也は「なになに?」と俺の顔を覗き込んでくる。
その顔を手で押し返しながら俺はまた「なんでもない」と口にする。
小さな事が気になるのは俺の昔からの癖。些細な違和感がどう自分に影響するか分からない為に細心の注意を払う。
そんな俺の性格を知っている元也は俺が気にしすぎる事はあっても一度気になることをなんでもないと言うのがおかしいと言うのが分かっているのだろう。
けれど今俺が何を気にかけたのか、俺の中でもまだ答えが出ていない。
「何か気付いた気がするんだけど」
「うん」
「まだ良く分かんない」
「お前でそれなら俺に分かるわけないか。お前の「気がする」って気のせいな事多いしな」
「そんな事ない」
「はいはい。…と、やべ。もうすぐミーティングの時間じゃん」
時計に目をやった元也の言葉に俺も視線を時計に向ける。
寮への案内と部屋の整理にと充てられた時間が終わればスポーツ推薦で入って来た新一年達を交えてのミーティングが始まる。
その時間までにはまだ余裕はあるけれど荷解の途中で無駄話をしてしまった為に部屋の整理はまだ半分も終わっていない。
「元也が無駄話なんてするから…」
「えー?元はと言えば聖臣が…」
そんな言い合いをしながらも改めて荷解きと部屋の整理を再開する。
従兄弟だから?昔から知っているから?
確かにそれも理由になり得る事だろう。
けれど元也に思うのはそれだけではないはずだ。
普段から従兄弟を意識してバレーをしている訳ではないし、かと言って他のチームメイト達とも違う。
従兄弟であり、チームメイトであり、今では試合中に背中を預けられると思える相手。
昔から良く知る相手だから互いに多少の無茶も言うしそれに応えようとも思う。
でも昔からのクラブチームのチームメイト全員にそう思うわけではない。
無茶を言ってくるのが元也だから。俺が無茶を言うのを容認するのが元也だから。
中途半端にするのは嫌だけれど入学早々部のミーティングに遅刻するわけもいかない。
キリの良い所まで部屋の整理を済ませると俺と元也は寮の案内の時に知らされていた部屋へと向かった。
部屋には既に上級生やコーチなどがいたが新入生では俺たちが一番最初のようだった。
「お前達は…怒所の古森と佐久早か」
コーチに持っている資料と俺たちを交互に見ながらそう声をかけられれば俺と元也は「はい」とほぼ同時に頷いた。
「同じ中学からって奴らは他にもいるが…お前達は出身小学校、クラブチームも一緒なん
だな」
一般入試組を含めれば同じ中学出身者はもう少し増えるだろうけれどその中にクラブチームまでが同じなのは俺も元也もお互いだけ。コーチの言い方からすれば俺と元也のような関係の新入生は珍しいようだ。
それだけ長い間一緒にいるからあれだけのコンビネーションが出来るんだな、と更に続けてコーチは頷きながら何かを納得していた。
同じスポーツを同じチームで一緒に続けてきたことは確かである。
けれどもし当時同じクラブチームにいたチームメイトが同じ中学に進学し、同じ中学で同じようにバレーを共に続けていたとしても。元也と同じような連携が出来るかと問われたら多分無理だと答えるだろう。
そしてそれは先ほど考えていた事と同じ。
長い時間供にいても、供に同じスポーツをしていても。
「元也だから」
「?」
「うん?」
「他の選手じゃもし同じように過ごしていても元也みたいには出来ないと思います」
考えていた事が自然と口から漏れる。
元也と、コーチと上級生の視線が俺に注がれる。
従兄弟だからじゃない。
ずっと同じチームでプレイしてきたからじゃない。
俺に応えてくれるのが元也だから、俺も元也に応えようと思えるんだ。
「聖臣、お前何言ってんの?」
「いや、同じクラブチームとかは関係ないですって言おうと」
「ホント言葉が足らないのどうにかしろよなー」
俺の言葉に元也はわざとらしく大きな溜息を吐き、コーチや俺たちの遣り取りを聞いていた上級生達も笑いを堪えているような空気だった。言葉が足らないと言われても誰かに伝えるために言った言葉ではないのだから仕方ない。
「なんだ?つまり佐久早の最高のパフォーマンスは古森と一緒じゃないと出来ないのか?」
揶揄うような問いかけではなく、純粋なる興味なのか。上級生の一人がそんな事を問うてくる。
何を以て最高のパフォーマンスと言うのか俺と上級生では感覚が違うかもしれないが、自由に、強気に、安心して。
俺と元也以外に憂いなくと言うのは難しいけれど、それでもきっと。
「そうですね、同じコートに元也がいれば出来ます」
「おぉーい」
俺の返事に間髪入れず隣にいた元也がビシリとツッコミを入れてくる。
そんな俺たちの遣り取りに上級生達は笑っているしコーチも何やら含むような表情をしている。
「佐久早」
「はい」
「つまりお前は自分がレギュラーになれたとしても古森がいなければ試合には出ないのか?」
コーチの言葉にシン、と静まりかえる。
それは元也がレギュラーになれない、と言っているのかと考える。
でもそんな心配はいらない。
「大丈夫です。俺がレギュラーになるなら元也もなりますから」
「いやいや聖臣、多分コーチが欲しいのはそう言う答えじゃない」
「でも、なるだろ?」
言葉を何やら選びつつ「あー」とか「うー」とか唸った後元也は「なるけどさぁ」と小さく呟いて項垂れ、その呟きにまた上級生達が笑った。
その笑いは「なれるものならなってみろ」と言っているようにも聞こえた。
ちなみに俺たちの遣り取りは部屋に入りにくかったらしい他の同級生達にも届いていたらしい。
その事で「だから聖臣が何かやると俺が呼ばれるんだよー」と元也が文句を言っていた。